2001年3月31日 

 北海道にも春がやってきました。まだ風は冷たいし、時々春の淡雪が降るけれど、雪解けはどんどん進んでいます。私が毎日通うホームへの急坂も、アスファルトの路面が出ました。対向する車にも神経を使いながらの毎日から解放されました。自家用車しか通う手段がないので、70歳を過ぎても車を離せません。取りあえずはゴールド免許の次回更新時の74歳まで、無事故でありたいと慎重に運転しています。  この冬は寒さが厳しかったので、明け方の胸のアタックが随分ありました。部屋は十分に暖めて寝ているのですが、毎日何回かマイナス10度以下という外気に晒されると、心臓がそれを記憶しているのでしょう。ニトロの舌下錠や皮膚に貼るテープで何とかしのぐことが出来たので、緊急通報ボタンを押さないですみました。3月に入って昼間の外気温が氷点下にならなくなったので、もう大丈夫です。

 会津の病院にいた教え子の精神科医が、去年秋札幌の病院に移って来ました。高速道路の雪も消えたので、先頃受診に連れて行きました。長男の学童保育の時の親仲間だった知人に途中から付き添ってもらい、病院の近くの百合が原公園の温室にも寄りました。彼女の家で昼食もご馳走になり、少し寒かったけれど、数ヶ月ぶりの外出を和子と楽しみました。

 介護保険の再認定がありました。ホームのケアマネージャーは、去年4月の認定の時より和子の症状は進んだと言います。毎日数時間を一緒に過ごす私もそう思います。家族の食事もホームで頼めるので、時々居室で一緒に食べさせます。自分の手では一切何も出来ないので、口に運んでやります。美味しそうに食べ、口の中が空になると、「ハイ」と言って次の一口を請求します。入れてやって「美味しい?」と聞くと、「ウン」と言って目を細めます。

 病気の症状は進んでも、和子は内科的には全く健康です。2週間毎に測る体重も45キロ台を維持しているし、入れ歯はあるけれど歯の状態もベストで、食事は普通食を全量食べています。再認定はもちろん去年に引き続き「要介護5」でした。仮認定のための調査資料を見せてもらいました。「高度痴呆のため、食事摂取に関する動作が全く取れず」「高度痴呆のため、洗顔・口腔清潔・衣服着脱に関する行動が全く取れず」と、「高度痴呆のため・・」いう文言が何か所も出てきます。でも和子は手を添えれば歩けるし、階段も手すりを使って片手を添えてやれば何とか上れます。他の「要介護5」の方は全員寝たきりだそうだから、和子はさしずめ「歩く要介護5」というところでしょうか。

 介護保険の認定調査項目の中に、本人の心の状態の調査項目が無いのは奇怪と言えば奇怪ですが、認定度は介護にかかる時間(手間)なので仕方がないのでしょう。もし心の安定度を測る尺度があって、それを調査項目に含めれば、和子は自立に近い部分がありそうです。自分がどこの誰だか判らなくなっている不安は勿論あるはずだと私は思うけれど、彼女が若い頃から自分の中に作ってきた自制心と、自分の中に育んできた音楽世界があって、今の毎日を自ら支えているのだろうとしか私には思えません。“教科書”通りの「混乱期」は長く続いてたいへんだったけれど、今はそんな時期も過ぎておだやかな毎日です。

 先月の朝日新聞に、《居場所なき『痴ほう難民』》という特集記事が載りました。

 《・・高齢者痴呆介護研究・研修センター研究主幹の永田久美子さんは「痴ほう難民の対策を」と呼びかける。在宅サービスの量も質も、ホームも全く足りない中で家族が困り果て、難民のようになって精神病院にたどりつく。「痴ほう対策の遅れの犠牲者です。不適切な医療やケア、環境で、さらに症状が悪化する作られた痴ほう障害が100%といっていい」 精神科医療も高齢者福祉も、どちらも対策が中ぶらりん。その谷間に痴ほうのお年寄りが落ちている。・・》

という、そら恐ろしいことが書いてあります。でも話に聞く札幌の大病院が軒並みにこの記事とそっくりだと、私に寄せられる情報からは察しがついていました。和子も「一歩誤れば・・」というところだったと、いま考えてもゾッとします。

 和子と一緒にビデオでヘンデルの『メサイア』を見ました。和子はもうメロディーらしいものが歌えないのですが、口の中で少し歌っているのが、そばに居て判ります。彼女は学生時代、この曲のアルトソロを歌ったことがあるらしく、私と結婚してからも何度か合唱団で歌っています。  私が15年教師をやった札幌西高校は、制服を初めとする殆どの規制がない学校でした。この学校の全日制の入学式と卒業式では、生徒のオーケストラ演奏付きのハレルヤコーラスが演奏されました。『メサイア』の中の、いちばん有名な部分です。生徒達はこの曲と、混声4部合唱の校歌で迎えられ、巣立って行きました。生徒自身の手作りの卒業式ではなかったけれど、「自由の学園」の校風を連綿と受け継ぐこの学校は、去年の入学式までは、「教育委員会の指導や通達」などが入る余地がない、生徒達の心に残る入学式と卒業式だったと、いま思い出しています。

 私は本州に20年近く住んだので、北海道の、季節の変化が急激にやってくるこの時期の、心が沸き立つような感動はやはり格別です。フクジュソウもネコヤナギもまだですが、春は確実に近づいています。和子が好きだった、モーツアルトのリートに、《春へのあこがれ》k.596 という曲があります。ヘ長調の、冒頭に「喜びにみちて」と書かれている、こんな輝きに満ちた曲を、モーツアルトは亡くなる年に作曲しています。和子はもう何も言わないけれど、心の中でどんなに「春へのあこがれ」を歌っているだろうかと思います。  去年の秋、毎日歩いたダム湖園地はまだ雪の下です。駐車場の除雪が終わって開放されるのはゴールデンウィークからです。東京は桜が満開だそうだけれど、桜前線が津軽海峡を渡るのはもう少し先です。でも春はそこまで来ています。歩く準備の手初めに、暖かい日にドライブだけでもしようかと思っています。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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