2001年2月26日 

 シベリアの寒気団が長く居座って、真冬日が3週間も続きました。オホーツク沿岸が流氷に閉ざされるのは毎年のことだけれど、今年は太平洋沿岸の厚岸・釧路から日高沿岸まで港が凍結して砕氷船が出る騒ぎでした。私の初任地の浦河の港が凍ったことなど5年間居た私の記憶にもありません。さっきニュースでオホーツク海の90%以上が流氷に覆われ、23年ぶりの記録だと言っていました。やはり地球規模での循環系がおかしくなって来たような気がしてなりません。 寒さが続いたあと一度暖かくなったのですが、2月も末になってまた寒が戻り氷点下の日が続きます。でも日が格段に長くなり、春がそこまで近付いてきたのが実感できます。雪解けに備えて、和子のリハビリに精を出しています。少し手を添えながら、毎日ホームの階段を44段上がっています。

 FM放送で、バーバラ・ボニーが歌うリヒアルト・シュトラウスの歌曲を私一人で聴きました。「四つの最後の歌」や「献呈」が心に響きました。リヒアルト・シュトラウスの歌曲が放送でよく聴けるようになったのはこの何年か前からです。残念だけど、和子が病気になる前に一緒に聴いた記憶がありません。レコードも持っていませんでした。でもCDを買ったので、時々和子と聴いています。

 「歌う和子」とタイトルに書いたビデオカメラのテープが出てきました。ほぼ2年前の日付が書いてあります。三脚にビデオカメラを付けて撮影していたのをすっかり忘れていました。CDをかけながら和子が歌っているのですが、「ペチカ」や「小さい秋みつけた」や「夏の思い出」や「さくら貝の歌」など、歌詞が何番もある曲を、楽譜も見ないで(4年前から楽譜も日本語の字も読めなくなっていたのです)、きれいなソプラノで歌っています。歌詞の記憶も音程も確かで、2年前はこんなだったのかと、改めて病気の進行を思いました。和子がホームに入所する半年前のことです。  その頃和子と一緒に歌うためにCDを探していて、アルトの歌手が歌うCDはオペラを除いて殆ど売って無いのに気付きました。アルトの声はソプラノに比べて暗い感じなので、売れないのかも知れません。和子は元々アルトなのですが、CDのソプラノに合わせて歌っているうちに高い声が出るようになり、2年前はすっかりソプラノの声域もカヴァー出来るようになっていました。  同じ頃私は小樽の教員OB・OG合唱団に入りました。15年も歌っていなかったし、もともとバリトンの声域なので、ソプラノを歌う和子と一緒に歌うのが辛かったのですが、1年ほど前から指揮者の指導で、歌っている途中でファルセットに切り替えられるようになりました。私の声が高い音域も何とか出せるようになったら、和子が歌えなくなりました。でもホームの一室で、ビデオコンサートをしながら少しハミングのように口ずさんでいます。今日はモーツアルトの「魔笛」のアリアを聴きました。

 今日は65年前、二・二六事件が起きた日です。  和子はその年の11月に生まれました。私は5歳で記憶がないのですが、2歳年上の姉が、その時母から事件のことを聞いた記憶があるそうです。父が高山の鉄道診療所の医師をしていて、その少し前私の妹が生まれているので、母はまだ産褥期間中で部屋で寝ていました。その朝皇道派の将校達が雪の東京でクーデターを起こし、高橋是清蔵相ほか2名を惨殺し、まる3日間永田町一帯を1400名の兵士が制圧し・・・・。そんなファシズムと戦争への足音が聞こえてくるような時代でした。3日後「兵に告ぐ、今からでも遅くない・・」という帰隊を促すラジオの放送を寝ながら聴いていた母が、兵士が可哀想で涙が出たと言っていたそうです。  アジアの人々を2000万人も犠牲にし、日本人も200万人の犠牲者を出して9年後戦争は終わりました。その時和子は8歳、私は15歳でした。和子は戦争の足音を聴きながら物心付いてきたのでしょう。そんな時代のことを母から聴き取りをしたかったと思うのですが、母は14年前92歳で亡くなりました。関節リューマチの痛みが少しあっただけで、最後まで病気で寝込むこともなく、家の畳の上での大往生でした。私たちは遠く北海道にいて、四番目の兄夫婦と岐阜に住む晩年の母に、ゆっくり話を聞く機会がないままだったことが悔やまれます。

 戦後56年目にして、「新しい教科書をつくる会」とかいう団体がが編纂した歴史教科書が検定を通りそうだと報じられています。アジア近隣諸国への侵略と戦争の後始末を何もしないで、半世紀余り経っ今、前の戦争を美化する教科書の検定を通そうなどと、この國はどこへ向かおうとしているのだろうと思います。私は國による検定制度を容認してはいないけれど、アジアの人たちの神経を逆なでするような歴史教科書に、國としてお墨付きを与えるような愚かなことに、背筋が寒くなる思いをしているのです。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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