2000年10月21日 

 はやばやと初雪が舞いました。寒さを連れてきた大陸の寒気団は12月上旬並みだそうです。  その日は寒かったのでホームの応接室で過ごしました。ミラノ・スカラ座弦楽合奏団のヴィヴァルディ『四季』のビデオを見ました。40分程かかる曲を和子は手でリズムを取りながら気持ちよさそうに聴いていました。おだやかな笑顔で、そばで見ているだけでは病気には見えません。

 10月に入ってから木々が色付き始め、毎日少しずつ変化する秋の彩りを楽しみました。ナナカマドの実も真っ赤になりました。和子はとても元気で、多い日は1000歩(500メートル位)もダム湖園地のスロープを歩き、階段を40数段上がったりします。この病気の特徴らしく、視線を下に移動することが出来ないようで、階段の下りはすごく不安定なので無理はしないようにしています。

 私の初任地の浦河高校の同期会が札幌でありました。来年彼らは卒業満40年になります。教え子の一人(男性)から、「奥さんが病気にならなかったら、先生はこんなに奥さんに寄り添うことは無かったかも知れませんね」と言われました。教え子はよく見ているなあと思いました。和子の早い時期の発病は口惜しいけれど、いま笑顔があり、私との時間を楽しんでくれているようだから、ぜいたくは言えないのかも知れません。「和子さんは幸せですよ」とよく人に言われるけれど、ホームで大部分の時間を過ごす彼女の心の内は私にも判りません。こちらの話すことは一部は通じるけれど、自ら表現する術を失った彼女のことを、「吾が妻は何を想うや」といつも考えます。

 “教科書”はこの病気を、初々期・初期・中期(混乱期)・末期(痴呆期)と分類しています。長く続いた混乱期でした。永久に続くのかと、途方に暮れた日々でした。そして彼女はもう末期なのかも知れません。でも、有吉佐和子の『恍惚の人』や、新藤兼人監督の『午後の遺言状』に登場してくる人とは和子は全く違います。こちらの言う冗談も結構通じて、楽しそうに声を挙げて笑うし、表情も豊かです。

 介護認定の要介護度は、その病人の介護にかかるコスト(具体的には時間)だから、自分ではもう何もできない彼女が要介護5なのは納得できるけれど、でもその病人の“心の有りよう”は、医師との出会いと、介護次第だという気もします。病気は進行性なのだし、病変が小脳に及べば・・と考えるけれど、取りあえずは今彼女は元気です。

 7月から札幌のFMコミュニティー局の三角山放送局で『介護日記』をナマ放送で朗読をしています。ほぼ2週間毎に1時間の番組ですが、もう6回終わりました。私は『介護日記』を書き続けているので、エンドレスでは無いにしても、あとしばらくかかりそうです。  その放送局の代表は私が札幌西高に赴任した年、3年生でした。お互いに顔も知らないで廊下をすれ違っていたのだと思います。彼女は西高の同窓会のホームページの集まりで私のホームページのことを知ったのだそうです。私はマスコミからの取材を受けるつもりはありませんでした。美談は嫌いだし、編集権とやらがあって、取材される側の考えとまるで違うものが出来上がるという例をよく聞いていました。でも彼女が私の家まで来て、「先生ご自身で『介護日記』を生放送で朗読して下さい」という、思いもよらない提案でした。  朗読など柄でないことは自分でよく知っているし、『介護日記』を最初から改めて朗読するというのは随分辛い作業になるだろうことが予想でききたので迷いましたが、是非にということだったので引き受けました。

 改めて和子と私の闘病の歴史を復習することになって、長いようで短かった8年間だったと改めて思っています。命が幾つあっても足りない思いを何度もしたし、途方もなく辛い日々だったけれど、たくさんのサポートを貰って、希望を失わないで和子の“いのち”を見つめ続けて、いま和子と平和な時間を過ごせることに、奇蹟を見る思いもします。何よりも本人がどんなに辛かっただろうと思うと、いまは自分が何者かも判らない状態になった彼女が、穏やかな笑顔を見せてくれるのに安堵の思いがあります。アメリカの映像作家の女性が、この病気にかかった自分の母親を記録したドキュメンタリー番組『昨日を忘れた母』というのがあったのを思い出します。

 『介護日記』を読んで、「お子さんや肉親の方は介護に参加なさらないのですか?」と心配して下さる方がいらっしゃいます。「私が書かない、その行間を読んでください」とお返事しています。『母に襁褓(むつき)をあてるとき』で家族戦争をあからさまに書いた桝添要一氏のような勇気は私にはないのですが、「若年性のアルツハイマー患者が出ると、いつ家族崩壊が起きても不思議でない」という世界でもあります。「突然母が(姉が、妹が)アルツハイマーになった・・・」というのは、肉親にとってとてもショックなのだろうと思います。私自身は、自分が選んだパートナーだから、ショックだと思う余裕もなかったのでしょう。世の中には「時間が解決する」ということもあるのだろうけれど、でもこの病気は多分その時間を待ってはくれません。

 初雪も舞い、昨日は大量の雪虫が飛びました。彼女と屋外で過ごせるのはあと僅かですが、二人で残り少ない秋を楽しもうと思っています。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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