2000年6月17日 

 

 小樽の初夏の花、谷ウツギがいま盛りです。でもまだ最高気温が20度にならない日もあり、夏が来るのはもう少し先です。

 福島県の痴呆疾患センターが置かれている会津の病院で専門医をしていた教え子と連絡がとれて、彼の処方で和子に笑顔が戻ってからちょうど2年が経ちます。この2年間、彼が小樽の主治医に依頼してくれて投薬を受けてきました。
 その会津のドクターが思いがけずこの4月、北海道の病院に赴任してきました。
 4月末、別の教え子を2人助っ人に頼んでその病院に和子を受診に連れて行きました。会津の病院の医師チームの一人として、永年「アルツハイマー患者に対する在宅介護が可能な治療」を試みてきた彼が北海道にに転勤して来て、和子の今後に明るい見通しが出てきました。

 病気は遠慮なく進行して今は生活のすべてが全介護状態になり、介護保険も最重度の要介護5に認定されたけれど、和子はいま笑顔いっぱいの毎日を過ごしています。

 その教え子のドクターが2年前、「病気は治らなくても、症状を改善することは可能ですから」と言ったのを改めて思い出しています。
 小樽の主治医は睡眠療法が専門の神経内科医で専門領域は少し違うけれど、教え子の専門医からの依頼で薬を処方してもらっています。車で2時間かかる教え子の病院に和子を連れて真冬も通院するわけにはいかず、双方の医師と相談してこんな形になりました。
 特別養護老人ホームは医療施設ではないので、医師や看護婦が昼夜常駐しているわけではありません。和子がいるホームの診療所には、嘱託の内科医が祝日以外の月曜日から金曜日までの昼間だけ内科的対応をしてくれています。
 このホームの18年の歴史でかつて無かった若い入所者(和子はまだ63歳です)である和子は、こんな経過で3人のドクターと関わってもらって生きています。

 和子のような例を周辺にほとんど聞かないのは、大方の場合「治療法のない病人」として多くは精神科に入院してしまうのだろうと言われています。

 和子の脳は、6前に撮ったCTを見た教え子の医師達が、「医者なら誰でも、在宅介護のレベルを超えていると考える」という状態でした。6年間さまざまなことがあったけれど、それでも在宅で地域の福祉を利用しながら、自然の美しい小樽の春夏秋冬を過ごしてきました。

 子どものころ髄膜炎を患った旭川の少年が、音楽療法で絵の才能にも目覚め、個展を開くというニュースが報じられています。
 文章も音楽も絵も才能豊かだった和子は、病気が進んで何も出来なくなりました。でも発病してから描いた17枚の絵が残り、今年の1月 ≪御世話人≫ の手で『和子の画廊』としてホームページに載りました。たくさんの方々からメールで感想が届きます。
 もう自分では何もできなくなった和子ですが、彼女の中には音楽の世界が確実に残っているし、表情豊かな笑顔もあります。
 この病気は進行性で彼女は既に重度の症状だけど、毎日一緒に時間を過ごしていて、人が持つ生命力の可能性に改めて感動します。多分それは人間だけではなく、“いのち”そのものが持つ可能性なのだろうとも思います。

 少し前から、介護のスタッフの手を借りて彼女を車に乗せ、短時間のドライブに出かけています。
 車で10分ほどのところにあるダム湖に行くのが定番のコースです。車の中からダム湖を眺めるだけですが、CDで音楽を聴きながら素敵な時間を過しています。

 先のことは判らないけれど、これから始まる小樽の夏を、彼女と一緒に楽しもうと思っています。