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 「差別用語」について

 4月3日の朝日新聞の小さい記事に、《「障害者」改め「障がい者」、埼玉・志木市 表記を見直し。「個性の一つ」重視 》という記事が載りました。
 《障害は人の個性の一つにすぎないのに、「害」は「公害」「被害」などに使われてイメージが悪いという考え方に基づく。細田市長が「障害者基本法という法律名もあり、一朝一夕には解決しない問題ですが、まずは一石を投ずることができればいい」と話している。》と報じています。

 英和辞書で 【handicap】 をひいてみました。[不利な条件] とあります。これが日本語になると「障害」です。いつ頃できた熟語なんでしょうか。

 連想していろいろな事を考えました。一昨年の12月、北見市の隣町の訓子府町で開かれた介護講演会に招かれて、それまで書いてきた <物申す> を資料にして、和子の病気が判ってから私たちが感じたり経験して来たさまざまな差別・バリアー(障壁)について報告をしました。その時の会場アンケートの中に、もう一人東京から来られた講演者の方への感想で、「私は障害者という言葉が嫌いです。心が病む、体が不自由という表現で使っています。もう少し違う言葉を考えていただけませんか。差別用語だと思います」と書かれた方がいらっしゃいました。志木市の一石は「まず第一歩」かも知れないけれど、平仮名に直しても、この熟語が持つ差別性は残るのだし・・・と思ってしまいます。「障」は「障り(さわり)」という、これも明らかな差別語です。私は適当な訳語が無いから、なるべく(もう日本語にもなっている)ハンディキャップッドという言葉を使うようにしています。でも和子の手帳は、表紙に『障害者手帳』と明記してあります。
 その手帳は中を開けると「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律・・」と書いてあり、『療育手帳』や『身体障害者手帳』と違って、中を開けなければ何の障害なのか判らない仕掛けです。「精神」と表紙に書かないように配慮したらしいことが想像できるけれど、書かないことが逆差別だとも私には思えます。表紙に書かない配慮をしておいて、『療育手帳』や『身体障害者手帳』に適用される航空機やJRなどの、本人と付き添いの割引制度はありません。こういう片手落ちで差別的な制度そのものが世の中の偏見を作っています。精神にハンディを持った患者が、付き添い無しで飛行機や列車に乗れるわけはないのに、と思います。

 もうひとつ、「障害は人の個性の一つにすぎない」ということについて。
 もう20年も前に、スウェーデンのサリドマイドの若い女性が、両親の家から自立して、アパートで両足を使って何不自由なく暮らし、日常生活を全部一人でこなして車で大学に通っているドキュメンタリー番組がありました。彼女は自分のハンディを意識したことがないと話していました。彼女にそう言わせるスウェーデンの社会と福祉制度に舌を巻いた記憶があります。でも精神がハンディを負った時、それも「個性」と言えるのか、私には永久に答えが出そうもありません。今は何とか和子とコミュニケーションをとっているけれど、和子の状態は「個性」なのかなあ? と考えてしまいます。教え子がメールに書いてきたように、「これからの道のりもどこまで続くのかわからない」し、進行することも避けられないようです。でも気休めを書かない、教え子のそんなメールに励まされて生きているのです。

 いつ頃からか、マスコミは「痴呆」を「痴ほう」と書くようになりました。「痴呆」という言葉は、多分明治の初め頃に英語の【dementia】を訳すときにそんな差別的熟語が出来たのでしょう。この英語は deという、down や offを意味する、ややネガティヴな接頭語と、mental という語句をくっつけた言葉のようだけれど、「痴呆」という日本語のような、ひどい差別的な意味はなさそうです。  この日本語の「呆け」は、関西地方などで「アホ、ボケ、カス、死ね!」と他人を罵倒するときに使われる言葉です。だからマスコミは平仮名にしたのかも知れません。でも「痴呆」の「痴」は「白痴」とか「痴情」とか、これも怖ろしげな差別用語です。谷崎潤一郎は今だったら、『痴人の愛』などというタイトルの作品を書けたでしょうか。「痴呆」という熟語の片方だけ、ひら仮名にしても仕様がないという気もします 言葉は生き物だから、使われて百年も経ったら簡単には直らないと、つくづく思います。

 それにしても、何度も書いたけれど、「呆けないための・・」というハウツー本を書く医者や、「呆け防止講演会」で話す保健所の保健婦や(これは小樽での話です)、「呆けさん」などという言葉を使う施設のソーシャルワーカーや、そして「呆け老人をかかえる・・」などとソラ恐ろしい名称の家族の会や、この世界の用語は百鬼夜行の観があります。その道のスペシャリスト(と言われる人)達が差別用語を撒き散らしているのですからたまりません。自分がそう言われる立場になってみて、そんなふうに呼ばれたり、「抱えられ」ても平気なのか、そういう状況を想定できないで使うのは、想像力と感性の欠如でしょう。

 「差別は言葉から始まる」というのが、この10年来の私の実感です。

 前の<物申す>(「ぼけなんかこわくない」??)を送ったら、アメリカに住む教え子が、「“ぼけるが勝ち”というのもありましたよ」と書いてきました。私もどこかで読んだ記憶があります。そして、やはり有吉佐和子の『恍惚の人』は、測り知れない負の遺産を残したと、私には思えてなりません。当人や介護者にとって、もの凄く重くて大変なこの病気を、この作家は何を勘違いしたのか、主人公の茂造老人を「愛すべき、ほほえましき老人」として描いています。千秋実が主演した『花いちもんめ』(原作が誰だったか、思い出せません)もそうでした。何かの賞を取った佐江衆一の『黄落』も、ひたすら息子の側から父親の老残と恍惚を描いた作品で、読んでいて胸が苦しくなったのを思い出します。

 1993年に芥川賞を受賞した吉目木晴彦の『寂寥郊野』と、それを映画化した松井久子監督の『ユキエ』は、発病した女主人公と、それに寄り添う夫の切なさが心にしみる作品でした。初老性アルツハイマーを発病した女性(日本から渡った戦争花嫁)に対するシンパシーがにじんだ作品でした。「患者の側に立つ」ということは、今どきの医療・介護サイドの常識でないかと思うけれど、抜き難い差別的状況はなかなか変わりません。「本人がハピーなんだと思うことで、介護する側が楽になりたい」という“さもしさ”が、この世界の常識を作ってきたのが、日本の介護の歴史だと私は思います。

 教え子たちも、親がこの病気を発病する年齢になりました。“教科書”通りの経過をたどるこの病気はどれも深刻で(治療法が無くて、必ず進行するのだから当たり前でしょう)、親が亡くなったあとも、家で手厚く介護できなかった口惜しさと悔いを重く心に持ったままで生きているのが私にまで伝わってきます。

                    2001.4.18