<日本の福祉についてひとこと> その12
「バリアー・フリーの施設での”緩慢な退行現象”について」
和子がホームに入所したのは6月15日です。9月の『介護日記』に載せた和子の写真は8月16日の日付が入っています。入所してから2ヶ月です。 後日この写真をホームのソーシャルワーカーに見せたら、「あの展望台に連れて行かれたんですか。和子さんはもう無理ですよ」と言われました。 ダム湖を見下ろす展望台は、駐車場から階段を20段ほど上ったところにあります。 8月のその日は空気が澄んで猛暑も中休みで、しかもお盆明けの月曜日で人影もなく、和子を連れてホームから外出するのには良い日でした。往きは車の後部座席に腰をおろすことができず、床に座り込んだままでした。ゆっくり運転して10分で着くので、そのまま行きました。 駐車場から展望台へは不安定ながら、手を添えて途中休みながら何とか登ることができました。展望台で歌を何曲か歌い、素敵な笑顔の写真も撮りましたが、下りは大変でした。 何度も休み、ずいぶん時間をかけてやっと車にたどりつきました。
ショートステイのベッドが足りず入所を勧められたとき、「在宅介護の終わりではなく、寝る場所がホームに変わるだけだと思ってください」と言われました。 そのつもりで毎日ホームに通っているのですが、2ヶ月で彼女は階段の上り下りもできなくなりました。 和子の主治医とお話したとき「それは入院で何日かベッドに寝た人が、直ぐには歩けないという話と同じですねえ」と言われました。 在宅介護支援センターのワーカーに電話でお話したら、一瞬絶句されて「長年この仕事に携わってきて、お年寄りの方に安全でバリアー・フリーの生活の場所を提供することが最善だとずっと思ってきたのですが・・・」と言われました。 この特養ホームができて17年だそうですが、平均84歳、100歳を超す方もいらっしゃるこのホームを、62歳の和子が利用することは想定外だったかも知れません。主治医は「厚生省が決めた介護職の配置基準の問題ですねえ」と言われました。
和子が2年前に4ヶ月利用していた老健(『老人保健施設』というのが正式名称です)にはPT(Physical
therapist
理学療法士)がちゃんと居てリハビリ室もありました。 それはこの施設が建て前の上で、「病院から自宅療養に移る中間の施設」だからなのでしょう。 介護保険でいわれる「3種類の施設」、『療養型病床群(いわゆる老人病棟)』と『老健』と『特養ホーム』(特別養護老人ホーム)のうち、前の2つは現在は老人医療保険の対象で、病気が良くなれば退院(退所)するのが建て前です。 最後の特養ホームは医療の場ではなく生活の場で、運営も医療保険ではなく福祉予算です。 その事実上”終の棲家”の特養ホームにはリハビリの為のスタッフは居ないし、器具もありません。 ある知人と電話で話していたら、彼は「そうだよなあ、人間とは常に今の状況に合わせてバリアーに抵抗して生きていくものだもんなあ」と言いました。 人間だけでなく動物も植物もそうだなのだと私は思います。生活の中からそれが無くなったら、あとは”自然退行”を待つだけです。みんなそれを知っているから、この命長き時代に高齢者向けのスポーツがブームなのでしょう。
ホームの入所者の半数ぐらいの方は車椅子かほぼ寝たきりです。その方達はもちろんバリアーがあったら暮らしていけません。 だけど和子を含めてそうでない人にはスロープやリハビリの器具とスタッフが必要です。 「バリアー・フリーではなくユニヴァーサル」とはそういうことでしょう。 冬も安全にホームで守られているという実感がある一方で、数ヶ月前はデイサービスの車の乗降や家の中の段差もそんなに支障なく、そして家の近所の山坂を散歩していた和子の、たった2ヶ月の変貌ぶりに息を呑む思いがあります。 もちろん病気そのものが進行したのかも知れないけれど、何が原因なのか検証のしようもありません。私自身は登山も含めて有酸素運動を心がけています。 みずから”自然退行”を招くわけにはいかないので。
'99.12.4
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