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<日本の福祉についてひとこと その11

「呆けさん」??

マンションの入り口の掲示板に「呆け防止」講演会の案内の紙が掲示されました。講師は保健所の保健婦です。こういうのを見るだけで私は胸が痛くなります。防止のしようもなく病気が進んできた和子の無念さを思うからです

 少し前「呆け防止学会」というところからアンケートが送られてきました。「全国家族の会」から会員の名簿を入手して送ってきたようです。学会の名称に仰天し、腹に据えかねたので、アンケート用紙は中身も見ていません。全国の「呆け老人をかかえる家族の会」というソラ怖ろしい名称は、2年もかかって二千年度から「日本アルツハイマー協会」とかいう名称に変えるそうです。こんなことに何で2年間もかかったのか全く合点がいきません。
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抱えられる”側の身になって考えたことがあるのか、”呆け老人”などというオドロオドロシイ言葉が、途方もない差別用語だと20年も気付かなかったのか、会費を払って内部で発言をするのにも疲れたので、付き合うことをやめようと思います。

 そう言えば「呆け防止」とか「ボケ予防」などという標語はその辺に氾濫しています。「呆けとアルツハイマーはちがうのでしょう?」と私に聞く人がいます。しかしそんな用語上の使い分けなどされていません。
 
脳の「自然老化」と「病的老化」の違いは明確なのに、病院や施設で暮らしているのは”呆け老人”だし、一方では「呆けは予防できる」という、医者が書いた何十種類も本が本屋で売られています。
 
はっきりしていることは、脳の「自然老化」は防げるかも知れないけれど、「病的な老化」は今の医学ではどうしようもないということでしょう。新薬としてこの秋売り出されるエーザイの「アリセプト」も、初期にしか効かないようだし、まして治療薬ではありません。

 北海道の「家族の会」編集の『呆けさん介護体験記』という、これまた途方もないタイトルの本が売り出されました。「糖尿さん」とか「脳梗塞さん」などと決して言わないのに、「呆けさん」とか「痴呆さん」とかいう言葉が福祉や介護現場で平気で使われています
 たぶん有吉佐和子の『恍惚の人』以来の錯覚なのかも知れないと思うけれど、
痴呆症の患者が”恍惚”とか”ハッピー”とか”可愛い”などと思うのは全く事実と違います
 もう重度になって自分が誰かも判らない和子は、常時不安定です。私が毎日出会うホームの入所者の方たちも、基本的には同じだと思います。150人の入所者の約半分の方が痴呆の症状だそうですが。
 保育園の親仲間で、何年も病院で付添婦をなさっていた方の意見も同じです。「
過去を忘れた」この”難病”の患者が「心穏やか」だなどと、いったい誰が言いふらした伝説なのかと思います

 

 ”痴呆”という日本語も嫌な言葉です。英語の Dementia には、こんな日本語にあるような差別的な意味があるのだろうかと思います。

 和子はまだ歌を歌えるし、きちんと相手をすれば、笑顔を引き出すことも出来ます。しかし彼女が恍惚になったり、ハッピーになったりすることなど、将来とも無いだろうと私は思います。
 
自分が誰なのか、どうしてそこにいるのかも判らない吾が妻の人生の重荷を、どうしたら軽くできるのかと、自分の無力さを実感するしか私にはないのですが。

                    '99.11.6