5・23 代々木の森から明日への伝言


 皆さんからのカンパで、5月23日『反核・平和のための東京行動』に参加してきました。
 この日、東京は一点の雲もなく、会場は照りつける初夏の陽光と参加者の熱気でむせかえっていました。
 原宿の駅から会場の代々木公園に向かう道は、歩道と車道を半分に埋めつくした人の波に身動きできない程でした。その中で、1個200円の反核バッジ(これで集会経費をまかなう)を売ったり、案内・警備をしたりしている高校生・大学生たちに多く出会いました。彼らは自分の意志で事務局に奉仕をかってでた若者たちでした。
 ティーチ・インの広場では、開会式のあとの構成劇の中でうたわれた合唱が感動的でした。“日本国民は恒久の平和を念願し…”と、憲法の前文と第九条を、群読の調子で力強くうたいあげていました。
 このあと、広島・長崎の被爆者と被爆二世の訴え、大学・地域・職場での反核運動の報告、車椅子で参加した30人の障害者たちの代表からの訴え、靖国・教科書・基地闘争など、総勢40人が一人4分ずつ報告・訴えを行いました。
 都教組の主任手当拠出金で広島に行ってきた小学生の訴えと、高二女生徒の“事態は私たちが思っていたよりずっと悪くなってきている、このままでは核戦争が本当に起るかも知れないと気づき始めた”という訴えが深く心に残りました。私も数万人の前で長沼ミサイル基地と北海道の反核闘争について報告しました。
 メイン会場に行ったときは集会も終りに近く、舞台では、いずみたくが『明日への伝言』を自分でうたい、『原爆許すまじ』の全員合唱を指導しました。舞台上の人の顔が豆つぶほどにしか見えぬ広大な会場をびっしりと埋めつくした人々の“三たび許すまじ原爆を…”の叫びが代々木の森にひろがっていきました。
 地下鉄、国電と乗りついで羽田へ行く途中、車内で、反核バッジをつけた人々を何度も見かけました。この広い東京で、こんなにたくさんの人々が今日の行動に参加したのだということ、そして「本当に核戦争が起きるかも知れない」と感じ始めた人がこんなにたくさんいるのだということを強く感じました。
 この日、5月23日、北海道で、陸海空自衛隊13000人による実動演習が開始されました。その戦時さながらの演習に対して道新の夕刊は、『はじめたいのか“北海道戦争”』と読者の声をのせています。
 30日発表の総理府世論調査によると、戦争の不安を感じている国民が六割もいるということです。
 教師として、親として、教え子たちに、子どもたちに、平和な未来を残すために、いっそうの力をつくさなければ、と思います。

(北海道高教組札幌支部機関紙「はばたき」No.134
 1982年6月4日掲載)


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