天皇誕生日に思う


 天皇誕生日が近づいた。政府主催の記念行事・出版やテレどの祝賀特集がめじろおしだ。
 戦中派の一人としては、日本はとうとうここまできてしまったかという感が深い。
 天皇の名のもとに戦争にかり出され、死んで行った人達(級友の父親や、となりのお兄さんや———両手の指で数えてもとてもとても足りない)のことは、40年たった今でも記憶になまなましい。その戦争で300万の日本人が死に、2000万のアジアの人達を殺し、そして日本が満州の荒野におきざりにした残留孤児たちの悲劇はまだつづいている。
 その最高の責任者の在位60年をよろこべるだろうか。式典に、わが北海道の「革新」知事が出席するという。先週土曜日の晩、NHK教育テレビの「教育とは何だ」という対談で「寅さん」の山田洋次が語っていた。
「“40年目の5月8日に”西独のヴァイツゼッカー大統領が、ナチへの断罪と戦争犠牲者への追悼と、そして闘って死んで行った人達への感謝を捧げた。それと日本の政治家との違い」を。
 今教えている生徒達に、「諸君が生きていく日本はこんなに誇らしい国です」とはどうしても言えないのが残念だ。そうしてしまった責任は、もちろんわれわれオトナにあるのだが。
(高教組室蘭清水丘高班「はるからもい」No.37
 1987年4月23日掲載)


「北海道でとりくんだこと」 もくじ