高教組札幌支部の皆さんへ

――戦争のテンポにまさる
      平和教育のとりくみの必要――


 20年間住みなれた札幌をはなれて、室蘭の清水丘高校に転勤することとなりました。はじめの5年間は札幌南高校、あとの15年間は札幌西高校でした。札幌南高校に来た翌年から2年間は支部書記長を、そして西高校の終りの6年間は支部役員として、組合活動に微力をつくす機会を得ました。最後の2年間は支部財政部長として金庫番の任にあたり、又数年間平和教育部も担当しました。支部内の学校班で、十分に平和教育が広がったとはとても言えませんが、この1年間は、国連軍縮特別総会や十フィート運動の盛り上がりの中で、原爆パネル展や原爆記録映画の上映運動なども拡がり、生徒の中に戦争の実相を知らせる役割を果したと思います。しかし同じこの一年間、北海道とその周辺地域での日米合同演習が5回(戦後37年間一度もなかった)も行われ、われわれの側の運動の高まりとウラハラに、戦争への準備は激しくなってきています。子ども達に平和な未来を保証するために、いっそう心をひきしめていかなければならないと思っています。

 ———自由な学園の中で悔いのない高校生活を———

 離任式で要旨次のような話をしました。

 『私が西高に15年いるあいだに、うちの子ども達も成長し、あいついで市内の公立高校にはいりました。しかしそれらの学校では、髪型検査、所持品検査、スカート丈の検査など、憲法違反としか思えないようなことが日常的に行われています。学校の事情はあるにせよ、いちばん判断力を養わなければならないこの時期に規制が加えられると、人間はダメになってしまうと私は思います。そして、法律違反さえしなければあらゆる自由を保証されているこの札幌西高を、すばらしい学校だと私は思います。しかしあらゆる自由があるということは、当然ダラクする自由もあるわけです。どうか、二度とはやってこないこの三年間を空費しないように、あとになって“すばらしい三年間だった”と言えるような三年間を過ごしてほしいと心から願っています。』

 春休みに見学旅行にいく娘の学校から『見学旅行の事故防止について』というプリントが父母あてに送られてきました。その中の一節を書き抜きます『万が一、出発前の注意事項を守らない場合又は旅行中不祥の事故が起った場合すぐに家庭へ連絡いたします。そして該当生徒はその後の旅行を中止させますので現地までお引き取りに来ていただきます。もし都合のつかないときは関係者が連れて帰札させますが、その時の費用は家庭の方で負担をお願いすることになります』(原文のママ)
 この中には、生徒と心をうちわって話し合う教育的な姿勢は片リンも見えず、あるのは生徒に対する不信と、親と生徒に対する恫喝だけです。怖しいことですし、これが道内の高校の平均的実情だとしたら、たいへんなことだと思わざるを得ません。

 戦争への準備が日々強められている今日、高校教育のなかで、真に人権意識に目覚め、自立した人間、他人とともに生きる力をもつ生徒を育てあげる重要性をひしひしと身に感じています。しかし現実の高校教育には、こと細かな規制と管理によって、自主性のない没個性的人間をつくり出そうとしている状況が、あまりにも多く存在しているように思われます。
 新しい任地で、民主的な人格形成の教育、平和のための教育を追求しながら努力したいと思います。札幌支部の皆さんの御健闘を祈ります。
 1983年3月31日


「北海道でとりくんだこと」 もくじ