高校紛争の根源

一現場教師の所見


   はじめに

 札幌南高校の問題が、私たち道民の前に大きくクローズアップされはじめてから、半年あまりたちます。8月なかばの授業再開以来、表面上は学校の機能は恢復してきたようですが、事態は私たちの心配を深める方向に進んてきているような気がしてなりません。9月なかば、南高校のそばを通ってみました。広い学校の敷地のまわりは、戦争中の捕虜収容所を思い出させる、有刺鉄線を張った塀がとりまき、以前は開け放たれてあった校門は、重い鉄の扉です。そしてトランシーバーを持った警備員が、常時校門のそばを巡回しています。そこには、もはや教育の場は存在しないように私には思えました。
 一昨年あたりから、いわゆる大学紛争なるものが世間の注目をあびました。そしてそれが去年は高校にも拡がってきて、道内の高校でも、多かれ少なかれいろいろな動きがありました。北海道でははじめての長期ストライキ、学校側の事実上のロックアウト、関係生徒の処分、そして授業再開という南高校での経過は、こういう背景の中で起きてきたことでした。
 私自身、去年の紛争校の一つに数えられた札幌の高校の教師として、南高の事態は、とてもよそごとではありませんでしたし、南高校の場合、極端なあらわれ方をしたにせよ、同じような事態のおきる可能性は、どこの高校にも存在しているという感じを、深くせざるを得ませんでした。

 高校紛争の真の原因は何か

 道教委の岡村教育長は、芽室のPTAの集会での講演で、ハンストにはいった生徒に母親が付き添い、チョコレートを差し入れたということを例にしながら、父母の過保護が紛争の原因となっていると語っています。
 岡村教育長が引用した「チョコ・スト」なるものの真偽のほどはわかりませんが、一般に子どものあやまちを厳しくたしなめない親の問題も、紛争と無関係ではないかもしれません。しかし、南高校をはじめとして、生徒の自主活動の問題が、何らかの学園紛争の中味になった札幌市内の学校は、大学区制の下における大学進学率の高さの順位と、奇妙に一致しているのは、偶然ではないような気がします。
 小学区制と高校総合選抜制によって、一時北大入学者が均等になっていた札幌市内の高校は、大学区制の実施によって、学校差が歴然となってきました。市内の中学校で、南高校にはいれる生徒は、クラスの最上位数名に限られています。このような大学区制の環境の中で、他人と自分を区別し、自分の考え方が他人より優れており、正しいものだとする自己中心的な、誤ったエリート意識が育っているのではないでしょうか。南高校紛争などで見られる各セクトの諸君の間でのあらそいと、一般生徒の中での孤立化は、そのことのあらわれだと思います。
 大学区制は、学校の側にも、それぞれの学校差に見合う体制をつくったようです。多くの受験校では、大学進学体制を中心とする教育課程と授業体制が確立し、教育内容の画一化と進路指導の数量化がすすみ、教師と生徒との血のかよったふれ合いが失われつつあります。
 札幌の受験校といわれる学校の実態はこんなふうです。
 英・数・国・理・社の5教科の入試成績と、中学の成績で合格者がきめられます。かつての8教科の時に比べて、いわゆる主要5教科以外の成績がいい子どもは、ふるい落とされます。いま取りざたされているように、入試が英・数・国の3教科だけになったら、3教科に比べて、理・社に強い子どもは、入試でふるい落されます。入試が子どもの巾広い能力を評価する役目を果たしていないことは、はっきりしています。はっきりしているのに、それが高校生の能力として受けとられ、世間でも通用しているのは、高校教育がそれ自体、目的をもって位置づけられているのでなくて、大学入試のための予備校的位置づけしかもたされていないからです。
 入学した生徒たちは、入試成績の順に並べられ、均等に各クラスにふりわけられます。年に何回かの定期テストがあります。先生によって、教え方も内容もちがうはずなのに、同じ教科では同じテスト問題というのがふつうです。そして各教科ごとの順位、主要5教科の合計の順位が出され、本人と家庭に通知されます。先生たちは、自分の教えているクラスの平均点を気にします。同じ問題で全クラステストするわけですから、平均点の低さは、教授能力の問題として取りざたされます。
 ちがった教科の合計を出すという、本来意味のない、しかし入試などではやむを得ずやられていることが、高校生活の中で日常化されています。3年間の総合成績を基礎として、生徒には進路指導のアドヴァイスがされます。本人の希望よりも内容よりも、数量化された成績が問額になります。
 生徒はいつも順位を意識します。どんなに努力しても、だれかは450人中の450位になるわけですから、生徒たちのはげみは、他人をけおとして自分がはい上るということでしかなくなります。この“他人に追いつき、追い越せ”という意識が、“仲間をたいせつにし、たすけあう”という仲間意識と矛盾しないはずがありません。学校祭や運動会など年に何回かの機会に、“仲間意識”が芽生えることはあっても、高校生活の中心の勉強の面では、周囲はライバルです。
 こんな学校では、生徒が自主活動の中で問題にする安保や、沖縄・ベトナム問題や、いまの高校教育に対する疑問に無縁な、教科知識の一方的な注入が行なわれます。その結果、自分の興味や関心が満たされない生徒の不満は必然的に、教科外の自主活動の中で爆発し、学校教育に対する、不信となってあらわれます。さきに述べた大学区制の下での、大学進学ランクと高校紛争の相関関係は、そのあたりにも問題がありそうです。
 高校における生徒の不満の一つの焦点は、学校が文部省−道教委の“手先”として生徒の自主活動を規制しているのではないか、という点に集まっています。文部省や道教委が通達を出したり、新聞に談話を発表するたびに、紛争の種がまかれるような感じで、現場の教師は肝を冷やされる思いです。
 直接、教室で生徒とふれあうことの少ない教頭が、市内の高校で2人制となって、学校運営や生活指導の実権を握っている姿は、生徒の目からは、直接教科を担当している教師や担任が、非力な統制された人間として見えてくることにもなってくるのでしょう。
 さらに過去5年間行なわれた強制人事異動により、市内の高校は大半の先生が入れかわり、生徒と教師の関係が疎遠になってきています。かなりのクラブが、育ての親の顧問を失い、卒業生は訪ねてきても、知っている先生がほとんどいないという状況です。こんなことも生徒と教師との間の断絶を大きくしていることは否めないようてす。
 これらのことから、高校における学園紛争は、岡村教育長のいう、親の過保護も無関係ではないにしても、大学区制や2人教頭制に見られる管理体制の強化や人事異動等、ここ数年の北海道の教育行政そのものに、多くの原因を発しているといわざるを得ません。
 大学紛争や、安保・ベトナム戦争などの政治的環境が、高校での生徒の運動と強い関連を持っていることはとうぜんですが、それが個々の学校で校内問題となるためには、それぞれの学校における教育のあり方とのかかわりなしには起きえないことです。

   おわりに

 金網にかこまれた、南高校の境を通りながら正常化への道がまだまだ遠いことを思いました。道教委は、この塀をつくるために数百万円の支出をしたそうですが、たとえ北海道中の何百の高校のまわりに金網をはりめぐらしたところで、前述のような原因をつくっている教育行政のあり方を正さない限り、高校問題の解決はないと思います。私の学校でも、問題はくすぶりながら続いています。しかし、当面の事態の解決は、全職員の意志統一のもとに、生徒自身が全体の意志を反映した自主活動をつくり出すための、ねばり強い話し合いと援助を続けていく以外にないと思います。

<札幌市高校教諭>
(「北海道教育評論」1970年10月号・特集「今日の高校問題」)

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