'96年2月21日 

 ふたりでNHK教育「シルバー介護」を見ています。この頃は、障害者向け番組をよく見ます。

 ここ1週間真冬日が続き、寒いので散歩もままなりません。暖かくなるのが待ち遠しい毎日です。退院後※、和子は何日か「ここ誰のおうち?」などと言っていましたが、そのあと毎日夜7〜8時頃、壁の時計を見て、「おうちへ帰らなくちゃ」「ここがあんたのうちでしょう」「いや、若柳の実家のこと」「秋に行ったばかりだから(写真はみせてるけれど、その時のことは覚えてません)、暖かくなったら、又行こうね」という会話をしていました。ほとんど毎日、こんな状態ですが、数日前、夜8時頃、時計を見て、やはり同じことを言ったあと、「私、何時に帰るってうちに言って来なかったから」と。おかしいのはその時だけなのだけど、1ケ月の密室暮らしで、やはり1ランク進んだのかなと思うこの頃です。おそらく“幼児がえり”の一種で、高校生時代ぐらいにその時は帰っているのかなあと思います。

 岩内のトンネル事故のことは、彼女のメモリーにはいるのに1週間かかりました。全部の遺体が発見された日、「ひどいことが起きたんだね」と言いました。1週間、毎日、朝、夕刊、テレビのニュースを見るたびに、「一体何が起きたの?」と。その度に、私は、初めてのニュースのように説明を繰り返していました。阪神大震災のときは4日でしたから、繰り返せばメモリーされるということもだんだんむつかしくなるのかも知れません。このトンネルは、去年の夏、東京の姉達が来た時に積丹への往復に通ったところで、もちろん10日の事故当時その事も話しました。

 ピアノは、退院後ほとんど弾かなくなりました。音楽は楽しんで聴いたり見たりしています。テレビのニュースやドキュメンタリーは、その時々に反応して、全く普通ですが、じきに記憶から消えるのでしょう。

 機嫌は相変わらずよく、よく食べて元気に暮らしています。春になったら、又旅行に行こうと思っています。

※私が前立腺手術で1カ月入院しました。彼女を「付き添い」にして、1カ月個室暮らしをしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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